コラム

お店づくりの大事なプロセスを、プロの視点で覗いてみませんか?
2010.09.16 |コラム

前回に引き続き「ナニワの商業事情」をレポートします。
今回は、大阪市内でも両極(?)にある2つの街を紹介します。

まずは、大阪の下町として有名になった「新世界」。場所は、なんばを中心とするミナミから約1km南に広がる地区です。「通天閣」といった観光スポットの他、足の裏を撫でるとご利益があるという幸運の神様「ビリケンさん」、B級グルメ等でも紹介され有名になった「串カツ」あたりがイメージとしては強いでしょうか?ですが街を歩いてみると「昭和の繁華街」ともいえる雰囲気が大きいと思われます。(ちなみに漫画「じゃりん子チエ」の舞台は新世界の近所)
街の発祥は、明治に行われた博覧会が基礎となっており、全国的に「下町」とされる地区が門前町の性格を持っている点とは大きく異なります。博覧会後、パリのエッフェル塔を模した通天閣が建造(現在の通天閣は2代目)され、人が集まることに呼応して飲食店等が集積し、庶民の繁華街として栄えていきました。しかし、鉄道交通網の整備に伴い、立地的に取り残されたエリアであったため次第に衰退していったようです。しかし、「ジャンジャン横町」をはじめとする「今時でない」昔の繁華街の雰囲気が残されたことが、現在は観光資源として寄与しています。以前は「ガラの悪さ」が強調される街でした。ですが、NHKのドラマの舞台になったこともあり、親しみやすくなったのか、串カツを食べたりスマートボール(温泉街でたまに見かけますよね)に興じる親子連れやカップル、団体さま・・・といったように観光客が増えており、かつての繁華街は、変わらぬ雰囲気・街並を残しながら少しずつ観光地化が進んでいます。


続いて、変わらない街「新世界」とは逆に、本来の姿から大きく様変わりし、トレンドスポットに変化した「北堀江」です。街のイメージとしては福岡では「大名・今泉」でしょうか?場所はミナミの中心街「アメリカ村」から西へ数百m程度の距離にあります。この地区は立花通りという高度成長期に栄えていた家具の街でしたが、住民の郊外への転居や大型家具店の郊外進出等により次第に寂れていきました。バブル経済崩壊後、殆ど廃業寸前ともいえる状況で代替わりした各商店が、通りに「オレンジストリート」と愛称を付けたり、フリーマーケットを開催しているうちに徐々に変化を見せ始めます。地区内の公園前にゆったり過ごせるカフェが出来たり、近隣の「アメリカ村」の客層の低年齢化を嫌った店舗の移転。さらには、東京から大型セレクトショップが次々と北堀江に進出したことによって、しだいに賑わいを取り戻しました。近年では各種の衣料品店インテリア等の雑貨店や複合型のカフェや飲食店等、若手商店主の店舗の他、デザイナー事務所等のSOHOも広がりを見せています。特筆すべき点としては、これらの大きな変化(街の活性化)が行政の介入や大規模開発等の外的要因ではなく、地元商店主らが主体的に活動した結果という点があげられます。また、無秩序な出店への歯止め等についても、行政ではなく地元が主体になっているそうです。

今回のレポートでは、「変わらない街〜新世界」と「大きく変わった街〜北堀江」についてふれました。昔の姿・雰囲気を残しつつ時代のニーズに少しずつ対応している新世界。片や時代のニーズを模索しながら変化を続ける北堀江。「変えない」と「変える」は真逆の手法ですが、2つの街それぞれに地元の方々の「街への愛着」や「エネルギー」を感じずにはいられません。街という大きな枠組みでも、商業施設という箱でも、店舗という器でも「良くしたい」という思いは誰しも同じです。ただどれだけ強く思えるのか、行動できるのかが非常に重要なことだと思います。みなさんが抱いている、街やお店への思いはどうですか?

ちなみに、お店のフシギ研究所では、みなさんのお店づくりに関する相談に合わせて、関西地区へのご出店についてもご協力させて頂きます。ご興味のある方は、ぜひご相談下さい。

最後に・・・今回レポートした地区の他にも関西地区には面白い街があります。阪神タイガースが優勝するとたちまち飛び込みスポットになる道頓堀やコリアンタウンの鶴橋。神戸・京都にも魅力的な街があります。機会があれば少しずつレポートしていきますのでお楽しみに。

「お店のフシギ研究所」主任研究員 小林裕幸